【吉田松陰(よしだ
しょういん)】
天保元年8月4日(1830年)9月20日、長門国萩松本村(現・山口県萩市)に生まれる。私塾・松下村塾では主宰者となり、高杉晋作、木戸孝允を初め、久坂玄瑞、伊藤博文、山県有朋、吉田稔麿、前原一誠等といった維新の立役者・指導者となる数々の人材を教え育てる。
また、自身も絶えず過激に行動し続け、幕末の志士たちに大きな影響を与えた。
1859年、松陰の過激な思想・行動を恐れた幕府により(井伊直弼による安政の大獄)、江戸伝馬町の獄において斬首刑に処される。享年29歳。辞世の句は「身はたとひ
武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし
大和魂」。
山口県萩市には、学問の神として崇敬を集める神社として松陰神社が存在する。また、東京都世田谷区にも高杉晋作など松陰の門人によって改葬された墓所に松陰神社がある。
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